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山崎 壱大



《お祈relations》(2022) サイズ可変 石膏、ベニヤ板、アクリルラッカー


《野比のび太の姿をした何か》 H680*W2140*D620 石膏、石粉粘土、アクリル


《祈りえもん》 H680*W2140*D620 石膏


この作品は、涅槃像とのび太(漫画ドラえもんのキャラクター)のダブルイメージから制作を行った。また、ドラえもんフィギュアを別作品として制作したが、展示時には、囲む形になっている。これは、立場が逆転し「日本人は祈られても傍観する神様のことをまるで怠惰なのび太のように認識し、人間の方がその願いをかなえる力、万能的な能力を持ち合わせるドラえもんだと思っているのではないか」という考えのもと、制作している。

祈る対象を認識せず、祈ることへの無意味さや可笑しさといったその感覚を作品の中に起こしたいと思い、今回の形に至っている。




《べったrelations》(2021) H1100 × W1400 × D850 ミクストメディア

(カネライトフォーム、石粉粘土、鉄

アクリル、ラッカースプレー)

2021 令和3年度広島Web公募美術展 入選


この作品は、“人間関係の依存性”をテーマにした。人とのつながりは強くなっていくといびつなものになる。その考えを表現するために、パートナーを守るために服になった人間と、守ってもらっているが故に自分で歩く力を失い、頼るしかなくなってしまった人間を一つの生命体として表現した。




《飾relations》(2021) H740 × W450 × D450 ミクストメディア (カネライトフォーム、石粉粘土、鉄 アクリル、ラッカースプレー) 2021 第33回東広島市美術展 開館特別記念賞 この作品は、“飾り物のように関係を構築していく人間たち”をテーマに設定し、両耳から耳飾りとしてぶら下っている二人の男性と、それを彩るため飾りにつかう女性をモチーフにしている。女性の頭頂部からピアスの器具が出ていることで、人が連鎖的に誰かの飾りとしての役割を持っていることを表現した作品である。人と関係を持つときの判断基準の表面性に着目した。(本作品は第33回 東広島市美術展 開館記念特別賞を受賞した。)




《だーrelations》(2022) サイズ可変 石膏、アクリル


きょう、いちにちのこと。

あしたのこと。

つぎあうひのこと。

おやすみまでのたいせつなじかん。




〇制作経緯

この作品は2021年11月19日から11月21日の間に、東広島市美術館前の西条中央公園で行われた「光のアートガーデン」に展示されたものである。このイベントは同年五月に、一般社団法人 東広島青年会議所から自分の所属しているデザインサークルアトリコに制作依頼がかかり、私個人が依頼を引き受ける形で、約五か月で制作した。

バルーンの制作は岸工業所様に依頼し、制作費用は110万円ほどであった。

〇プロジェクトの結果

 この「光のアートガーデン」は結果としては3日で約5000人を動員した。私としては、初めての複数人での制作といったこともあって、メンバーとの意思疎通やプロジェクトへの意識の差などで満足のいく結果にはならなかったが、このようなプロジェクトを動かすときに必要な統率力や、コミュニケーションの取り方など様々な能力を学ぶことができたいい機会にはすることができた。私は、自分のつながりというテーマを展開させていく上で、人と協力する形での作品制作は、今後視野に入れるべき課題だと考えている。そのため。自分の作品の理想像を実現するために、この経験を次に生かせるよう尽力したい。


〇設置された看板の文章

 この度は、夢を運ぶ怪物『おやすみドリーマン“good night dreaman”』を見ていただきありがとうございます。この作品は、このコロナ禍という苦境の中で燻り続けている皆様の夢や希望を守り、そして、次の時代へとその夢を運ぶことをテーマにした作品です。ドリーマンの透明なお腹の中には、多種多様な夢たちが、今もなお外で花開くことを待ち侘びながら、光り続けています。

その夢の熱を絶やすことなく守り続けてくれるのがドリーマンという存在なのです。


「私たちが夢を叶えるその日まで、おやすみドリーマン。」




山崎壱大(YAMAZAKI,ichita 1999-)


私は、作品に一貫して、“つながり”というテーマを設けている。この言葉を私は人対人の関係で終わるものとしてみていない。もっと広義の意味合いとして、目に入る多くの事象と人が関わり合いながら生きている、その関係性を表す言葉として“つながり”を使っている。人はつながることを自ら求める一方で、他者につながることを要求されたり、生まれたときから既につながっていたりする。そのつながりはその時の感情の程度によって「糸」や「鎖」などと比喩されることもあるが、私はつながりこそ、生きることの本質的な部分ではないかと考えている。「孤独を好むものはいるが、耐えれるものはいない」という言葉があるように、人間のつながりがどれほど大きなものかを生涯を通して表現していきたい。












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